心のネジを巻く日記

発達障害児の子育てと日常を綴るブログです

私であって私ではないという感覚|発達障害児の自己認識について

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以前、長女が言った言葉で忘れられないものがあります。

今から3年くらい前のことだったと思うのですが、いつものように一緒にお風呂に入った後、バスタオルで身体をふいてやっていると、意を決したように長女が言いました。

「私はね、私のこと、私じゃないとずっと思っていたんだよ」

私は意味が分からず、ちょっとポカンとしてしまいました。でも、何か言葉を返さないといけないと思ったので、動揺しながら返事をしました。

「そうか、◯◯は自分のことが自分じゃないような気持ちがあったんだね」

私の言葉に、長女は何か違和感を感じたようでした。私が理解していないと思ったのかも知れません。

「私はずっとニセモノだと思ってたの」

「ニセモノ?なぜ?」

「別の身体に入ってるみたいだったから」

「……」

いよいよ返すべき言葉が見つかりません。

「じゃあ、今はもう自分だってことが分かったんだね?」

「うん。2年生の時に分かった」

「2年生の時なの?」

「うん」

その後も、何度かこの話を長女は繰り返すのですが、その度に私はどう返事をすれば良いのか分からなくなってしまいます。

不登校の頃

2年生の時といえば、長女のパニック発作が1番ひどかった時期です。

1学期の終わり頃から精神が不安定になり、2学期は食事もほとんどとれず身体ががりがりに痩せていき、3学期から本格的に不登校の生活に入りました。

そんな時期に、長女が自分自身を「ホンモノ」だと感じていたというのは、どういうことなのでしょうか。

暗く長いトンネル

あの頃、私と長女は手を繋いで、真っ暗なトンネルの中を延々と歩き続けていました。

永遠に続く長い長い時間を2人で乗り越えて、遥か遠くに見える、あの小さな光を目指して。

光のさきに希望があるのかどうか分からないけれど、この子をここで終わらせてはいけない、終わらせるわけにはいかない、その想いだけで歩き続けた日々でした。

そうして、私が一縷の望みにかけて必死になっていた時に、長女は、自分が自分であることを心の中で知ったのです。

自己を認識するということ

長女の「私が私だと気付いた」という言葉がいったい何を意味しているのか、正直にいって、私にははっきりとは分からないのです。

ただ、自分の思考と行動とのギャップが、「自分は本物じゃない」「自分が自分じゃない」という感覚に至ったのかも知れないと感じています。

「自閉症の僕が跳びはねる理由」の著者であり、重度の自閉症の東田直樹さんは、たびたび自分の行動と思考のギャップについて冷静に分析されています。

はじめて東田さんの文章を読んだ時にはかなり驚いたのですが、自閉症をはじめとする発達障害を理解する大きなキッカケにもなりました。

僕には、独り言のように、自分に向かって言う

言葉があります。

「何やってんの」

「ダメでしょう」

「怒るよ」などです。

僕は、普段の生活では、奇声を上げたり、

何かで覚えた単語、フレーズなら言えますが、

その場に適した言葉や、普通の会話をすることは

できません。

そのため、自分を励ますつぶやきも、他の人から

言われた言葉しか出てきません。

話せないから、文字盤やパソコンを使っているわけ

ではなく、自分の考えや気持ちを表現しようとすると、

頭の中が、真っ白になってしまうからです。

東田直樹 オフィシャルブログ 自閉症の僕が跳びはねる理由

自閉症の人が心の中でこんな風に葛藤を抱えているなんて、以前はまったく想像できませんでした。

自閉症のお子さんが奇声を上げたり飛び跳ねたり走り回ったりするのを見た時、私は、そのお子さんがそうした行動がやりたくて、自己満足のためにやっているのだと思っていました。

だから、東田さんの言葉には本当にビックリしました。

発達障害と自己認識

長女は担当の医師から、自閉傾向がある広汎性発達障害、およびアスペルガー症候群と診断されています。

自閉傾向と自閉症がどう違うのかはっきり分からないのですが、長女が繰り返し言う「私は私じゃなかった」という言葉には、東田さんがいつも書かれているような行動と思考のギャップが関係しているのだと私は感じています。

自己認識とは、自分が自分であるということを自分自身が理解することを言います。

もしかしたら、発達障害の子どもは「こうしたい」「こう言いたい」という気持ちとは裏腹な行動をしてしまうことが多くあって、それが自己認識のずれを生み出す可能性もあるのかも知れません。

そして、そうした自分の行動がつらいと感じた時に、自分は自分じゃないと思い込んでしまうのではないでしょうか。