心のネジを巻く日記

発達障害児の子育てと日常を綴るブログです

相模原・障害者施設殺傷事件|正論と狂気の狭間にあるもの

神奈川県相模原市にある知的障害者のための施設で、残忍な殺傷事件が起きてしまいました。逮捕された容疑者は26歳の男で、事件のあった障害者施設の元職員でした。

容疑者は犯行後Twitterに「世界が平和になりますように」とツイート。そのあと警察署に自首しています。

容疑者は以前から、「自立できない障害者は安楽死させた方が良い」という思想を持っていたようで、知人には、障害者施設を回って10月までに600人を殺すと話していました。

そして、その考えをわざわざ手紙に書いて、なぜか衆議院議長公邸に届けています。

1番最初に議長公邸を訪れた2月14日には手紙は受け取ってもらえませんでしたが、翌日の15日にもう一度来訪をした時には手紙は受領されました。

手紙には、家族に迷惑をかける障害者は安楽死をさせた方が良いという考えが手書きで詳細に綴られていて、これから自分は障害者を殺すつもりであること、手始めに自らが務めていた相模原市の施設を狙うつもりであること、その時には結束バンドを使って職員を縛り自由を奪った上で犯行を行なう計画であることも書かれていました。

容疑者は大麻の使用で強制入院をさせられていた時期もあるそうですから、薬物の影響が思想に影響を与えた可能性はあると思います。

でも、やはり元々、「役に立たないもの、迷惑をかけるものはいない方が良い。場合によっては殺すこともやむを得ない」という考えがあったのではないかと思うのです。

とても悲しいことですが、こうした思想を持つ人は、この容疑者だけではないですよね。

障害者は社会の役に立っていない。周囲に迷惑をかけている。だから、死んでも良い。

こうした短絡的な考えはそれ自体が間違っていることは勿論ですが、それを本人が「正論」だと思い込んでいることに恐ろしさを感じます。

今はネットという自己主張の場所があるので、過激な発言が歪んだ共鳴を呼べば、本人はまるで世間に肯定されているように勘違いしてしまうことがあるのではないでしょうか。

ネット上には今回の事件を称賛する人がいることも事実です。

自分自身が障害者の親という立場であるないにかかわらず、こういう考えの人がたとえ少数であっても存在するということを、本当に残念で悩ましいことだと感じています。

少し前に、高齢者を老害と呼んで「早く死ねば良い」というような発言をネット上でされている人がいて、すごく驚いたことがあります。

なぜ死ねば良いと思うのかと言うと、老人が多すぎるから年金の負担が大きいという理論でした。高齢者は年金を受給するという形で若者の財布に手を突っ込んでいるのだと。

そして今回の事件も、容疑者は「障害者に使われている税金を他に回せば良い」から、「障害者は死んだ方が良い」のだと、友人に語っていたそうです。

高齢者にしても障害者にしても、役に立たないから、お金がかかるから、もういない方が良いのだと言い、それが正論であると思い込んでいる人達は、もしも自分が不慮の事故で身体が不自由になった時にどう思うのでしょうか。

手も足も動かせなくて、食事も排泄も入浴も全て、人の手を借りなくてはいけなくなったら。

自分としてはもう生きていなくても良いと思ったとしても、そんな自分に寄り添い、命があっただけで嬉しいと涙を流してくれる人がそばにいたなら。

自分の命より価値の無い命なんてあるのでしょうか?

人の命を無くす権利なんて、どの人の命にも与えられていません。

他人の存在意義を否定することなんて、とても簡単なんですよ。誰にでも存在意義はあるけれど、それは絶対的なものではない。

人の命に対して「いらない」「いない方が良い」という考えが頭に浮かんで、それが正しいと感じたなら、自分の心に狂気が芽生えていることを知って下さい。