心のネジを巻く日記

発達障害児の子育てと日常を綴るブログです

友達のいない子どもにとって、校外学習は試練でしかない。

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2学期が始まってすぐに、6年生の校外学習がありました。

校外学習の内容は、『キッザニア』で職業体験をするというものでしたが、長女は行くことができませんでした。

楽しみにしていたのに

6年生の校外学習で『キッザニア』に出掛けることは、以前から学校内の話題を聞いてよく知っていた長女。5年生の頃までは「学校でキッザニア行けるんだよ!」「楽しみ!」と張り切っていました。

でも、日が近付くにつれ不安感が高まってきたようでした。

「いつも家族で行っている『キッザニア』に、学校から、校外学習として行く」ということが、何を意味しているのか。

いつもは妹が隣にいて安心だけれど、校外学習の場合は、心を許せる人が誰1人そばにいない。

友達がまったくいない長女にとって、子どものみで職業体験をすることになる『キッザニア』は、試練以外の何物でもないのでした。

少しずつそのことに気付きはじめた長女は、2学期が始まる前から「キッザニアには行きたくない」と言うようになっていました。

「先生も一緒にいてくれるから大丈夫だよ」

「行ってみれば、きっと楽しいよ」

なんて、そんな言葉は私には言えません。

1人ぼっちで淋しい思いをすることが分かっているのに、どこで何をすれば良いのか分からずに、1人で不安な気持ちになることは分かっているのに、「大丈夫だよ」と言ってしまうのはあまりに無責任だと思っています。

これまでも、学年ごとの校外学習で同じようなことを繰り返しました。

「大丈夫、きっと楽しいよ」

そう言って励まして、笑顔で送り出したあとの罪悪感。いつもきまって、悲しそうな泣き出しそうな表情で長女は帰ってくるのに。

修学旅行の後悔

春の修学旅行の写真で、それぞれにグループを作って、子ども達がはしゃいでうつる写真ばかりが並ぶ中、長女だけはいつも1人でうつっていました。

困ったような悲しいような、それでも気持ちを悟られないように無理をしているような、複雑な表情をした長女の切ない姿。

「行かせなかったら良かったのかも知れない」

正直な気持ち、そう思いました。

どうせ誰も気にかけてくれないし、たとえば「おはよう」とか、「楽しいね」とか、そんな風に長女に声をかけてくれる子どもなんて1人もいないのに。

どこにいてもいないように扱われて、言葉をかけてもらえたとして、「邪魔だよ」「どいてよ」「◯◯ちゃんだけワガママ言ってずるいんじゃないの」という、きつい言葉ばかりなのに。

それでも「思い出を作ってあげたい」という想いで、これまで校外学習に参加させてきましたが、それが長女にとって少しでもプラスになっているかといえば、実感は全くありません。

たぶん、「行かせたことに意味を持たせたい」と考えること自体が、親のエゴなのだと思います。

校外学習を休んでみて

これまでのそういった経緯を振り返り、長女の気持ちを尊重したいという思いもあって、今回のキッザニアでの校外学習は欠席しました。

もともと『キッザニア』はよく行っていることもあり、長女は特に残念そうにするでもなく、「学校がさぼれて嬉しい」といった感じで過ごしていました。

ただ、買い物に行く用事があったので長女に「買い物に行こうか」と誘うと、「学校さぼってお出掛けしてたらダメよ」「奥さん、そんなのスキャンダルになっちゃうわよ?」と、どこで覚えたのか意味不明のことを言って私を笑わせてくれました。

これから中学校に入れば、こうしたことも多くなってくるかも知れませんが、とにかくどんな状況でも明るく前向きに、いつも笑って過ごしていければいいと思っています。