心のネジを巻く日記

発達障害児の子育てと日常を綴るブログです

発達障害の子育てで感じる敗北感について

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特別支援学級の担任の先生と長女の進路について話し合いました。

このテーマでは何度も話をしていますが、なかなかに難しい。

というのは、いくら「これが良いだろう」という結論が出たとしても、本人が気に入らなければ、実際に通わなければ、意味がないから。

高いお金を払って私立高校に進学して、結局ほとんど通わずに退学してしまうお子さんも結構いますが、仕方ないとはいえ、親の脱力感というか虚しさというか、そういうのは相当なものだと思う。

もちろん本人の苦しさに向き合って理解してあげないといけないし、そうした上での退学であるわけですが、やはり親でもつらいと思う。

泣きたい時ってきっとありますよね。

敗北感。

そういうのがあると思う。

敗北感と葛藤と

私だけかもしれないけれど、長女を育てる中で幾度となく敗北感を味わいました。

この感覚をどうやって言葉にしたら良いのか分かりませんが、心の中に積み重なっていく挫折感?のような重しがあって、

それが、ずんっずんっずん…と、肩にのしかかって、いつの間にか敗北感になっていく。

何かに負けたわけではないのだけれど、この肩の重たさを言葉で表現すると「敗北感」というのがしっくりくるのです。

それは、自分が自分に負けたということなのかも知れないですが。

長女が産まれてから、私はこれまで自分が信じてきたものを全て軌道修正しなくてはいけませんでした。

最初は発達障害とは分かっていなかったけれど、泣いて泣いて全てを拒絶する我が子を、なんとかして世界に馴染ませなければいけないと感じました。

逃げることはできないし、逃げる術も無い。

すべては私が責任を取らなければいけないのだから。

そうした日々の中で、少しずつ心の疲れが蓄積して敗北感になったのだと思います。

100歳になっても、と考えると苦しい

 

私が年をとっておばあさんになっても、きっと同じだけ年を取った長女と手を繋いで横断歩道を渡っているのだろうな、と思うとき、ふと苦しくなります。

おばさんになった長女は、その時も律儀に右手をまっすぐ上げて、慎重に横断歩道を渡るでしょう。

私が生きている間は良いけれど、死んだ後は誰が長女の手を引いて横断歩道を渡ってくれるのだろう。

そう考えて、まぶたが熱くなるたび、今悩んでいる長女の進路の方向性がいかに大切であるかを気付かされます。

いつまでも私がしっかり生きているなら良いけれど、そんなのは無理だから、少しでも自立して生きられるようにしてあげなくてはいけないのです。

いくらお金があっても、横断歩道を1人で渡れなくて車に轢かれてしまえば意味がない。

敗北感も挫折感もそっと胸にしまい込んで、長女が進むべき道はどちらの方向にあるのか、考えを巡らせる毎日です。